-----丹生山ーシビレ山縦走-----
神戸市北区山田  2012/02/28(火)


■山行時間=約7時間 (町歩き2時間)
■情  報=おトイレは、各駅にあります。

■衝原バス停(10:10)…箱木千年家…サイクルセンター奥登山口(10:22)…義経道…お地蔵様(11:14)三丁石 参詣道との合流点(11:26)…丹生神社 山頂(11:39-12:10)… 帝釈山分岐(12:25)…朝日山…下山道分岐…シビレ山(13:04)…下山道分岐(13:14)…こおもり谷分岐(13:30)…256P(14:23)…舗装道路に出る…鉄塔(15:00)…衝原湖管理道(15:06)…ダムの橋(15:13)…神鉄栄駅(16:15)

さんぞう先輩の復帰登山です。「丹生山」へのお誘いをいただき、是非とも参加したいと休暇を取りました。
足がすぐに だるくなるそうですが、安定した まずまずの歩きっぷりに 安心しました。

阪急三ノ宮駅集合、バスで 「箕谷」へ移動。さらに乗り換え 終点「衝原」下車でした。




歩行地図は不正確です。
わき道多くありましたが、大切な分岐点では 標識がありました。



終点 「衝原」バス停 後ろが丹生山かな。

まずは 箱木千年家見学。

最古の民家だそうです。

総勢5人が集まり、JR三宮東口の南にある バス停へ移動。バスは空いていました。
神戸トンネルを抜けると、田園風景が広がります。「箕谷」でバスを乗り換えます。
向かえコンビニ横のバス停より 「衝原」行きのバスに乗り継ぎます。

「衝原」で降り、まずは 「箱木千年家」の見学。
その後、"サイクルセンター奥の登山口"へと移動。


(10:22)橋を渡り、「衝原サイクルセンター」の奥が登山口。

奥にある、さりげない 標識です。

登山口は竹林が続きました。

大阪のおっちゃんギャク炸裂するなか、登山口へ到着。
サイクリングセンター手前に 丹生神社への参詣道があります。
「今回は 義経道を歩きます」とさんぞう先輩。

「源平合戦の時、三草山で平家を破った源義経が鵯越への進軍路に使ったとされる道といわれている。
丹生山から衝原、藍那を通り鵯越に続く道が義経道と呼ばれている」(ヨネちゃんより)


歴史のある山ですね。 竹やぶに囲まれた おだやかな谷筋を登りました。




(10:40)

(10:44) 藪越しに六甲。

(10:54)山頂から東に派生する尾根が見えた。

竹やぶが終わると 結構な登りになりました。
336pを巻き終わると 尾根に乗ったのか、 東に展望がある。
丹生山山頂から東に派生する 立派な尾根が 谷越しに見えます。



南東に見える六甲をズームで。山麓の住宅地は 箕谷 谷上 花山でしょうか。

晴天と思っていましたが、天気が早くなったのか、全体に曇り空です。




(11:00)八丁石 発見。



さんぞうさんに「3丁石」のタイムをいただいてるのですが、場所がはっきりしないとか。
ネット情報でこの辺だろうということらしいです。「8丁石」発見。あと5丁登るのでしょう。




登山道右手が 丘になり なにやら 石塔がみえる。回り込みみると、古い墓石のようでした。
天保の刻みがあったとか。江戸中期?末期?と みなさんで 話し合いました。

天保 享保 寛政の改革を江戸三大改革と呼ばれます。 天保年間(1830−43)ウィキペデイァをどうぞ。
手前のおじぞうさまには 孫の成長をお願いし、「カシャー☆」


(11:14)おじぞうさま。

(11:26)そして、「3丁石」がありました。

3丁石を後にして。


やがて ひろーい参詣道と合流。 合流点近くに「3丁石」がありましたーぁ!! 
11:26到着。 登山口から1時間10分かかりました。


3丁石に別れを告げます。

穏やかな道です。

また石碑。、、、、、うん? 読めません。



石積みがあります。

かすかに展望があった。

城跡でした。





石積の傍らに一丁石がありました。



山城があったそうです。



鳥居さんが見えます。

(11:37)鳥居さんをくぐり登ると 社務所。

階段の上が 神社のよう。



丹生神社です。

(11:37)社務所前には土俵がありました。

社務所前のベンチで お昼になりました。


篤志家により 平成にはいり 再建されたそうです。

検索しますと、、、、
山頂にある 丹生神社は 丹生都比売(にうつひめ)を祭る。
この丹生都比売は呉越より、渡来した 水銀鉱業を生業とする丹生氏(にうし)の氏神である。
戦前まではにうやまと呼ばれることもあった。とか。

丹生都比売神社128代目の丹生広良氏によると、仏教伝来以前に遡る古社で、
「神祇志」には「入比売神社」と記載されていることから、
播磨国風土記」に登場する、神功皇后が、新羅へ侵攻した際に、
武器や船や衣服に水銀の原鉱である赤土(丹)を塗れば戦勝するという神託を得た神社であるという。


丹生山はかつて 明要寺の鎮守森であった。
「丹生山縁起」(元禄13年(1700年)頃)によれば、
明要寺は百済の聖明王の王子童男行者が堂塔伽藍十数棟を建立下のが始まりとされる。
東に建立した奥の院には梵帝釈王が安置されたため、帝釈山と称されるようになったという。
明要寺の開基がいつごろかを伝える文献は発見されていないが 遺物からはすくなくとも奈良時代には寺またが修行場として存在したと推定される。
平安時代末期になると 平清盛がこれを復興させ福原京の鎮守として
日吉山王権現を勧請してから「山王権現」と称されてきた。
山上には丹生山城が築かれ天正7年(1579年)には三木城の別所氏に味方したことから
秀吉の焼き討ちにあい、数千人の僧 稚児が焼死、
稚児ヶ墓山や花折山の名前はこの時の悲劇の伝承による。
その後 秀吉によって寺は再興された。しかし明治維新後の廃仏毀釈で廃寺。
童男行者の自坊であった船井坊だけが当時残っていたという。(検索による)

神社敷地に おトイレありました。


(12:13)神社から下って左がシビレ山方向。

林道を経て丹生会館へ の分岐。

帝釈山 分岐です。


さんぞうさんが 依然歩かれた 帝釈山への分岐です。やりすごし、「朝日山」へと、進みます。


水平道が続きます。



途中の激登り。


丹生山は516 帝釈山分岐では530 朝日山(512・8)へ向けておだやかに60下り、
40登ります。ここが急登りかな。
朝日山は展望がないそうで スルー。 シビレ山は465で 40下ります。短いですが激下りでした。






こんなに下ったの?!



シビレ山手前で展望がありました。
雄岡山 雌岡山が見える。


水平道を行き、


祭祀跡を後にして、、。




おお!あと100Mですか

ありました シビレ山 山頂。

山頂をカシャ、カシャ!
標識を触ると、しびれるのでは? と危惧し 皆さんも止めるので 止めました。(笑)
ここから、西へは 地図上の 破線が途中で途切れています。さんぞうさんはコンパス片手に 歩きたそうですが、
復活第一回目なので 止めました。おとなしく 衝原湖へ下る分岐へと戻りました。



下り ショートカットコースのよう。

ざれてますが なかなかいい景色。

展望よく 楽しい。
ショートカットコースはまたまた 急下り。落ち着くと 本道と合流。
合流後も ところどころ ざれた砂地の ロープつきの道が現れます。
箱庭のような展望でして なかなか 楽しいのでした。



こおもり谷分岐。




こおもり谷は 歩きにくいというか 岩場の危険な谷らしい とさんぞうさん。
もちろん パスです。直進します。




順調に下りました。



ここで90度 左へ。



先に、標識と、、

235・6ピークと三角点がありました。

いつの間にか 谷筋渡渉となりました。



下ったー!上には舗装道路が待っていました。

舗装道路はいつしか土道に

鉄塔を目指すそうです。


山道が終わった。舗装道路に飛び出しました。
はてさて ここからは調べてなくて、いいかげんなことです。さんぞうさんにお任せ。
舗装道路が二本平行してありました。一本はたぶん 衝原湖岸へと 下るのでしょう。
さんぞうさんは 以前からの 山道を歩こうとされ、小高く尾根へと登る道路を選択。
軽く登り そのうち北へと道が振っています。「北に進みますね。」「まいてるんやろ」 と進みました。
やがて 舗装は無くなり土道に。地図を出して確認されてます。「鉄塔があるほうへ進むのですが」
先発隊で 先へといってみますと 荒地の突き当たりとなり、南方向へ鉄塔が見えました。
「ありましたよーー」と 手で丸をしめすと、みなさん 進んでこられました。



先ほど見えた鉄塔の下を通過。



ダム湖管理道のここへ出てきました。


鉄塔を通過後、しばらくして 衝原湖が見えてきました。右へ進むと湖岸へ下れるのかと進みますが、
ふみ跡薄いな、、。後ろで「左のほうが踏み跡 濃いよ。こっちと違う?」戻り左へ。
(薄いと思えばすぐ 戻り確認でしょう。と自分に言い聞かせます)
湖沿いに 緩やかにしばらく下っていくと、 湖岸の管理道が見えて 道路へ降り立ちました。




航空写真で見るとよくわかりました。赤丸が進んだ方向です。
山からの 進行方向から右方向へ舗装道路を進むとやがて
衝原湖ダム管理道へ出て 橋へと歩けるようでした。











呑吐ダムを渡る。

サイクリング道です。




栄駅までの道も平坦ではなく、山道の様相。家も無い。
整備された サイクリング道路を進みましたが、途中 山道が分岐している。
さんぞうさんと Oさんは そちらを歩かれることに。結局栄駅近くで合流。本来の山道のようでした。
サイクリング道は 神出山田自転車道と呼ぶようです。

みなさんは 新開地の反省会会場へ進まれましたが、私は翌日も仕事なので エスケープ。
次はよろしくお願いしますね。楽しい山歩きでした。ほんとうに 復活おめでとうございました。



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